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花火

 投稿者:奥島  投稿日:2013年 8月 4日(日)12時26分21秒
   高校生の時か大学生になっていたのかもしれないが、故郷の城川でお盆の盆踊りの夜だった。会場が3キロ以上離れていたこともあり、私も母も見にいかなかった。父は来賓として呼ばれているということで、出かけていった。
 しかし、終了予定の午後9時を過ぎても、父は帰ってこなかった。父が帰ってきたのは、12時を過ぎていた。
 盆踊りの休憩時間に花火をしたが、花火の発射台がが倒れて水平に飛び、それが小学生に当たった。怪我をした小学生を、宇和島の病院まで連れて行っていたということだった。
 翌朝、怪我をした小学生の両親がお礼を言いに来ていた。倒れた花火の発射台から、怪我をした小学生に向けて、何発も花火が続けて発射された。父は走って行って、その小学生を抱きかかえて避難させたそうだった。
 「失明とかいうことにならなかったから良かった。」「花火が中止になってもいかないから、我慢してください。」という話を父はしていた。
 「お父さんすごいね・・」とか、「戦争に行った人は根性が違うね。」とか言って、父を褒めたやればよかった。 と今になって、思ったりする。
 もうすぐ、父の七回忌 
 
 

44年前

 投稿者:奥島  投稿日:2013年 4月 2日(火)21時45分3秒
   ある飲み会で、30手前の男性が他県出身の人に高校野球を話していた。「愛媛の高校野球を語るときに忘れてはならないのは、『矢野君の奇跡のバックホームです。』と・・
 それを聞いていると、時代の流れを感じる。
 私たちの時代は、後にも先にも、「松商・三沢の延長14回裏、ワンアウト満塁ノースリー」である。
 「ストライクがはいるように」と、祈るように見ていたあの時のことが忘れらない。ワンストライクの後の5球目、ボール押し出しと思いきや、球審は、一呼吸おいてストライクのコール。6球目は、ピッチャーがはじいたボールをショートがバックホーム
 今だったら、監督からの伝令が出たり、ピッチャーが大きく深呼吸をしたりしたであろうが、ピッチャーの井上は、絶体絶命のピンチに、淡々と立ち向かっていた。

 100年経っても、200年経っても、松商・三沢の延長18回だよ、と思ってしまう。
 
 

成人式にこだわる日本という国

 投稿者:ねこ  投稿日:2013年 3月27日(水)03時18分16秒
  成人式にこだわる日本という国

http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p038.html#page261
http://book.geocities.jp/conspiracycalendar/02/Y02/jre026.html#1025

日本は有名人の成人式にこだわる。
ほとんどの著名人は20才の誕生日でつながっている。
たとえば、日本の成人式はキング牧師20才の誕生日に始まったが、
そのキング牧師のノーベル賞受賞が決定した日は、
黒田東彦日銀総裁20才の誕生日だった。
(仮説を含む)

( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/01/p005.html )
 

成人式の晴れ着

 投稿者:奥島  投稿日:2013年 1月13日(日)21時57分25秒
   母は、寝たきりになって、施設に入って2年半になる。できるだけ、週に1回、日曜日の昼に行くようにしている。話はできないが、こちらの話は分かる。
 今日は、成人式が明日なので、上の姉の成人式の晴れ着を買った話をした。母はしきりに頷いた。
 野村町の呉服屋さんが、20本位はあっただろうか、反物を持って座敷で広げていた。それをするのは、決まって父の宿直の日だった。祖母も張り切って、呉服屋さんに話をしていた。当時中学1年だった私は、こんなに美しいものがあるのかと、感心して遠くから見ていた。
 どれにするか決まらないからだったのか、当時は何事も本家に相談をしていたからか、母は、具服屋さんから反物を預かって、日吉の本家に選んでもらいに行った。
 ところが、本家の叔母やおばあさんの意見は、「宇和島だったらもう少しいい物がある。」ということだった。
 そこで、母と姉と本家の叔母とが、本家の叔父の車で宇和島へ買いに行った。
 その買いに行った日に、野村の呉服屋さんがどれに決まったのかを聞きに来た。父は嘘をつけない人だった。「あんたには、本当に申し訳ないことになったのだけど・・」と呉服屋さんに話をした。呉服屋さんは何も言わず、預けていた反物を持って帰った。
 宇和島で購入して帰ってきた母や姉は、父が正直に話したのを聞いて、気の毒がっていた。
 宇和島で買った反物は、子供の私が見ても、それまで見ていた野村町の呉服屋さんの物よりもはるかに素晴らしく見えた。うれしい姉は、「お父さんには内緒で」と言いながら、「本家の叔母さんの顔で、20万円するのを10万円にしてもらった。」と話してくれた。

 作った晴れ着は、上の姉が着た後、下の姉がお下がりでもらった。

 私が45年前のことを覚えているのは、母も、祖母も、姉も、本家の叔母も、本家のおばあさんも、この晴れ着の購入に力が入っていたからであろう。
 

忘年会にて 笑うに笑えない話

 投稿者:kanzaki  投稿日:2012年12月14日(金)08時33分51秒
   昨夜は、愛媛弁護士会の忘年会だった。手広く活動をしている先輩のA弁護士が同じテーブルだった。A弁護士は、「今年は忙しくて、土日も休んだことはなく、休んだのはお盆の2日だけだった。」と話をされていた。
 そうしているうちに、今年入会した新人の挨拶になった。2・3人挨拶をしたが、その中にA弁護士のところに入ったB君もいた。
 B君は、「4月からA先生のところでお世話になっているBです、と挨拶をして、自己紹介として、趣味の話を始めた。釣りが趣味で、土日には釣りに行き、大きな魚を釣り上げた話だった。
 同じテーブルのA弁護士を見ると、腕を組み天井を見上げていた。
 

父の失敗

 投稿者:kanzaki  投稿日:2012年 9月15日(土)11時03分12秒
   東予からの出張の帰り、人身事故で電車が遅れ、酒を飲んでいい気持ちで松山まで帰ってきた。宇和島行の電車に乗り換えると、ほぼ席は埋まっていた。みると、仕事の関係で2・3度話をした40代の県の女子職員の隣が空いていた。酔った勢いで、「となりいいですか。」というと、笑顔で「どうぞ」と言われて座った。
 話をしてみると、出身が私の出身の近くだった。10分ぐらい話をしただろうか。
 何の気もなく、通路の向こう側の席をみると・・
 なんと、息子が窓際に座っていた。しかも、息子の隣の席は空いていた。
 息子は知らん顔をして、大洲駅に着くと、ささっと降りて行った。
 

大変申し訳ありません。

 投稿者:奥島  投稿日:2012年 8月21日(火)12時28分11秒
   大事な40周年の祝典に欠席して、申し訳ありませんでした。前日から食事が取れない状態で、どうも熱中症にかかったようでした。
 今は、どうにか食べれるようになり、昼食はバナナと温めた牛乳です。
 体調を回復させて、金曜日にはアメリカから帰ってくる娘を迎いに、高松まで行ってきます。娘は、若いご夫婦の家にお世話になっており、先日はニューヨークに連れて行ってもらったそうです
 

沖縄返還40年

 投稿者:奥島  投稿日:2012年 5月16日(水)22時48分50秒
  今日の新聞では、沖縄返還40周年の記事が出ている。あれから40年かと、時の流れを感じる。
当時高校生だった私は、連日沖縄返還のニュースを宇和島市の神田川原の下宿で聞いていた。
 下宿のおじさんは、宇和島の商店街で呉服屋をしていたが、隠居して、おばさんに定員2人の下宿屋をさせながら、貸金業をしていた(今で言う「街金」だったのかもしれない。)。貫禄のある人だった。
 私の部屋のふすま1枚の隣の部屋がおじさんの仕事をする部屋で、おじさんにお金を借りて、今月の支払ができないと言う人が、猶予のお願いに来ていた。
 沖縄返還などの世間話をしていて、「実は、申し訳ないのですが・・今月は仕事が少なくて・・」と言い出すのを隣の部屋で聞いていた。おじさんは、決して、借主を叱るようなことはなかった。しかし、支払を確保するために、仕事の状況を聞いたり、家族について聞いたりしていた。
 2年半ぐらい、隣の部屋で、おじさんと借主のやり取りを聞いていた。慣れてくると、「もうそろそろ猶予の話がでるぞ。」と思いながら聞いていた。、
 今考えてみると、高校生としては貴重な経験をさせてもらい、今の仕事に役立っているように思う。
 

「小指の思い出」

 投稿者:奥島  投稿日:2012年 3月20日(火)18時24分48秒
   子供の卒業式が近付いてくると、自分の小学生の卒業式の日のことを思い出す。
 城川町の高川小学校で同級生は28人。 私の家で卒業生の父兄の二次会が行われた。
四国の山村にも、ようやく高度経済成長の影響が出始めて、父兄には、自分たちの生活がよくなってきたという意識を持つことができるようになっていた。
 私も末っ子だったが、末っ子がかなり多かった。これで小学校とかかわりが無くなるという思いからか、二次会はかなりの盛り上がりを見せた。
 父は、宇和島から買ってきた三波春夫の「俵星玄播」のレコードを何度もかけて、踊っていた。子供の目にも、これはエッチな踊りではないかと思える、座布団を丸めて持った人と、酒の一升瓶を持った人が交錯するような踊りも飛び出していた。
 そんな時だった、同級生のMちゃんのお父さんが私の所へ来て、「うちの家に行って、伊藤さゆりの『小指の思い出』のレコードを持ってきてくれんか。」と言った。街灯もない時代で、夜道を1キロも歩かなければならないので、私は、あいまいな答えをして、取りにいかなかった。しばらくして、もう一度Mちゃんのお父さんが、頼みに来た。しかし、私は、聞こえないふりをして、取りに行かなかった。
 Mちゃんのお父さんと私の父はかなり仲が良かった。Mちゃんのお父さんから、父がその話を聞けば、私に対して、「お前は、夜の道が怖くて行かなかったのか・・」と怒り出すことは目に見えていた。中学生になってからも、このことで、いつ父に怒られるのかと思い、びくびくしていた。しかし、Mちゃんのお父さんは、以前と同じように、私に優しく接してくれて、あのことを忘れているようだった。
 今思うと、Mちゃんのお父さんは、中央公論を購読しており、田舎ではインテリと評価されていた。その彼が、伊藤ゆかりの「小指の思い出」のレコードを持っていたことが知れると、彼の評価は大きく変わったかもしれない。酔いがさめた彼は、「小指の思い出」のレコードを持ってこようとした自分を恥じたのかもしれない。頼みを聞かないでレコードを持ってこなかった私に対して、かえって感謝していたのかもしれない。
 

行列のできない法律事務所

 投稿者:奥島  投稿日:2012年 3月 5日(月)09時27分25秒
   相談事例
甲さんは、叔父さんが来たので宇和島市で深夜まで飲み、大洲市に帰るためにタクシーに乗った。宇和町の高速道路を走行中、運転手の携帯電話の音が鳴った。運転手は、携帯電話をとって話し始めた。雨で前が見えにくくなっていたが、携帯電話で話をしているので手が塞がれ、ワイパーを動かすこともできなかった。
頭に来た甲さんは、大洲につくと、「ひどい運転をされたのだから、タクシー代は払わない。文句があるから言ってこい。」と言って、名刺を置いて降りた。
甲さんは、タクシー代を払わなければならないか。

1 A弁護士の意見
携帯電話で話をしたと行っても、宇和島から大洲までタクシーに乗ったことに違いはないので、払う義務がある。

2 B弁護士の意見
携帯電話をかけながら運転をするという危険な行為を行なっており、その危険な行為に対して慰謝料を甲さんはタクシー運転手及びタクシー会社に請求できる。慰謝料額は5万円以上で、宇和島から大洲までのタクシー料金を上回るので、相殺により、支払う義務がない。
 

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