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> No.5[元記事へ]
そらさんへ^^
>DV法を『女性からの必然的な運動』と捉えること自体、男女共同参画社会づくりを理解していないのではないかと思います。
男女共同参画社会づくりには、多くの男性も参加していたり、また逆に山下悦子氏のように女性側からの男女共同参画批判があることを考えれば、「女性から」という言葉が不適切、理解不足と言われるのも覚悟の上で書かせて貰いました。
というか…本当に理解不足でもあるので、もしよろしければそらさんや皆さんのご意見を伺いたく思います。
ただ、聞くだけでは失礼にあたりますので、私の理解を言いますと・・・
『”DV法をはじめとしたジェンダーフリーに関わる活動』 イコール 『フェミニズム』
と考えています。
そして、フェミニズムの歴史は『フランス人権宣言(内容は男性に限定するものだった)が採択されたとき、女性側が抗議運動(女性の基本的人権を求める運動)をした」ことで始まったと理解しています。
もっとも、それ以前に東ローマ帝国の皇后が「女性の自由と権利を求める法案」を出したことがあるそうですが…。
そのため私は歴史的に「女性からの必然的の運動」だったと見ているのです。
また、個別具体的にいうとDV法では男性保護が遅れています。相談に行ってもたらい回しといいます。
そして、北海道がやっと全国の自治体で初めて「男性の一時保護の”検討を始めている”」という体たらくです。
今のDV法やその女尊男卑と揶揄されるような運用は、男女同権・平等と離れた所にあると言わざるを得ません。
「人権問題」「男女平等」は必要です。しかし、それと今の「ジェンダーフリーに関わる活動」は別個として考えねばならない現実があります。
(追記)
フランスの作家ロマン・ロランは言いました。
「人類には全民族の可能性が必要だ」と。全民族に男女を問わないことは明白です。
性差・個性・能力・子々孫々までの将来性を含めた全人類の力が、未来の人類幸福には必要です。
その土台・社会づくりすることは男女問わず必要なことで、本当は「男女共同参画社会づくり」なんて考える以前の問題だったんです。
語弊を恐れず言えば、男女共同参画基本法を作らなくてはならない社会自体が情けないことであったと考えています。←この辺が意識の違いなのだと思います。同時に「男女共同参画社会づくり」そのものは肯定していると読んで頂ければ幸いです。
http://www.saturn.sannet.ne.jp/kura/
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